ケチですが…何か?

吝嗇家(リンショクカ)である私の父。エピソードが沢山あります。

中学1年の時にadidasの新しい靴下が欲しくて穴の空いた靴下を見せたら流石に買ってくれるだろうと思っていたら、

『靴下に穴が開いたら糸で塞ぐんだよ!』と。仕方ないので小学時代の裁縫道具で繕いました💦

ランニングシューズが欲しくて買ってくれというと、

『買ったら速く走れんのか?それで全国大会行ける?』(兄姉はインターハイ選手だったので…)

当然行ける話でなく苦虫噛んだ顔で、母親に頼んだ😭

まったくをもって「ケチ」でした。当時は「オレの事可愛く無いんだ」と真面目に思ってました。

まだあります!子供の頃、家族で外食は年に一回あるか無いか。親との家族旅行は生涯1度きりで猿ヶ京温泉一泊。(当時3歳)

お風呂は薪で温めるタイプ。小学生時代はずーっとで冬は裸で薪をくべるなんて事、今では想像もつきません。当時は屋敷森が繁っていて適当に薪が用意出来たのですが、途中から足りなくなり「薪を買う」となったら灯油の方が断然安いという事になって、やっと「普通の風呂」に入れる様になったのでした。

そんな吝嗇家にも良い事が

江戸時代に活躍し貝原益軒が書いた現代の生活にも充分通用する『養生訓』の一部にこう書いてあります。

『倹約する事で気を養う』というのです。

東洋思想の野暮ったいところんですが、「気」を消耗するとは元気が減るという事で、色々な物を節約して気を大切にして惜しめば長命になるというのです。

例えば何でもかんでもお金を使って大判振る舞いで生きてしまうと、気を散じて気が乱れ体調を崩していくのだとか

もちろん運動のし過ぎもコレに当てはまります。

−−−なんか分かる気がしますよね−−−

大切にするのは命

気を抑えて慎ましく生きるのもアリかもしれません。

注.敬意を込めて父親に「吝嗇家」と表現しました。

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